suncatch’s blog

八ヶ岳で深呼吸

東日本大震災 9年

9年前の朝、誰がこんなに大きな天災と人災が起こると予想しただろう。

当時、役所の高齢担当で働いていた私は大きな揺れと共にお客様(市民)の対応に当たった。余震が続く中、隣の席の職員の顔色がどんどん青くなっていく。確認をするとご両親は福島にいると言う。携帯は繋がらない。「公衆電話の方がつながる可能性があるから」そう言ってテレホンカードを差し出すと 「持ってるから大丈夫」と言って公衆電話に駆け出して行った。ご両親の無事が確認できてよかった。

でも状況はどんどん悪化するばかり。

職員は小さな子どもがいる人から順次帰された。残った私たちは全ての施設への電話対応に追われた。建物の状況、安否確認、停電などが起こっていないか、、、各部署がそれぞれにやることがたくさん。

「水道が止まる可能性があるからたくさん水を汲んでおこう」そう言ってやかんやペットボトル、個人のマイボトルなど入れられるものには徹底的に水を入れた。

福祉専門職の部署は他の課よりその時忙しくなり、 (もちろん災害対策はもっと忙しかっただろう)目の前にあるスーパーに買い出しに行けたのも夜7時を過ぎていた。もうほとんど何も残っていなかったらしい。それでもお菓子をつまみながらニュースをにらみつつ仕事を続けた。

その間娘と旦那にメールをじゃんじゃん送ったけれど返事は一切返ってこない。やっとのことで娘に携帯で連絡がついた。「電車が止まっているから親友と一緒にバス停でバス待ちをしている」と安全が確認できただけでほっとした瞬間だった。

私は職場のご家族が迎えに来た車に同乗させてもらい、大渋滞の中、家まで送ってもらった。

「ほしぞら と てのひら と」

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そして人災が始まった。

この曲をブログにアップするのは相当悩みました。今の時期は適切ではないのかもしれない。でも現場で働いている人はまだ実際にいる。きっと色々なものに怯えながら、、。

原発に賛成する人は聞かないでください。

「東電に入ろう」

youtu.be

政令市だから保健所が一緒になっている。

保健師が何名か被災地に出向いた。

テレビの画像よりずっとひどい状況に何がいけなかったのか自問自答の日々が続いた。

今もまだ自宅に帰れず仮設住宅に暮らしている人はたくさんいる。再建の目処が立たない場所も沢山ある。再建しても人が戻るかどうかも分からない。それだけ大きな事故を起こした。ここから学ぶべきことはたくさんあるはず。

 

忘れないこと。これは東日本大震災に限ったことではありません。災害大国日本に暮らしている限りいつ何が起こってもおかしくない。

自然の前で私たちは無力である。そしてリスクゼロというものはありえない。